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*張恵妹の魅力に迫る*

張恵妹(Chang Hui Mei , A-mei)
台湾では阿妹(アーメイ)の愛称で親しまれている張恵妹は1972年8月9日、台東市郊外の山村で生まれました。家族は原住民族の一族で、幼名は、日本語の”勝つ”にちなんで”Katsu”。
また、一族はみな日本語を話せます。その影響で彼女も日本語を多少話せます。母親も亡くなった父親も音楽好きで、子どもの頃からピュマ族の歌と踊りに親しんだのです。
彼女自身も北京語の他にピュマ語を日常的に使います。

1996年12月にデビュー。デビューアルバム「姉妹」は発売直後からトップを独走、それまで台湾になかった情熱のこもった歌い方とリズミカルで大胆なダンスであっという間に大スターになりました。



《大ヒットアルバム「姉妹」「Bad Boy」「妹力四射」》

張惠妹はバラードを歌う歌手の多い台湾では珍しいアップテンポのダンスミュージックに、台湾では珍しいソウルフルな声に乗せて歌い、その歌声は力強く聴く者を彼女の世界に引き込んでいく、といった感じです。
ダンスもまた彼女の特徴で、大きな振りに古くから伝わる民族風を合わせたダンスは「格好いい」だけでなく、見る者を引きつけるほどの魅力を持っています。

生き生きとした歌声・ダンス、全身で表現するのが張惠妹の音楽なのです。

彼女のデビュー曲『姉妹』は、遠い故郷に住む彼女の姉妹のことを歌った曲で、故郷の自然の素晴らしさと姉妹を想い、「遠く離れていても、いつもあなたを思い出し、いつも愛しているんだよ」といった歌詞になっています。また、この曲では彼女の母、姉、妹、そしていとこがバックコーラスとして参加しており、民族音楽のメロディーを漂わせるアレンジに仕上げられています。彼女の代表的な傑作曲です。 
また、セカンドアルバム「BadBoy」の中の『一想到イ尓呀!』のビデオクリップは彼女の故郷である台東の自然のあふれる村でピュマ族の子ども達や妹達と戯れたり、踊ったりしています。そしてやはり、故郷の自然の素晴らしさと、家族のことを歌っているのです。
アルバム「妹力四射」のメインになっている快歌『站在高崗上』は、もとのメロディは民謡であり、そういった民謡を現代風のダンスミュージックに編曲し、これを見事に歌い上げています。民謡風の声の張り上げ、激しいメロディ、これこそ張惠妹という曲です。そして、鳥たちのさえずりに川のせせらぎの音から始まりどこか懐かしいメロディなのですが、でも今風で、とてもノリがいいこの曲は、台湾の若者にも大変親しまれ、カラオケでも好まれています。
《台湾の少数民族の出身》

音楽的なスタイルとルックスが似ていることから「台湾の安室奈美恵」とも言われる張惠妹ですが、その実力は安室奈美恵をしのぐことは間違いない、というのも多くの人が認めるところです。
その張惠妹は、漢民族ではなく台湾の原住民族の一つであるピュマ族(約5000人)の出身です。小さい頃は都会ではなく山中の自然に囲まれて育ちました。ピュマ族の唱法も自然と彼女に身についているのです。それが彼女の歌声のスケールの大きさの要因の一つになっているのです。
専門学校卒業後、病中の父の勧めに従って台湾電視のコンテストに参加したが芸能界入りのきっかけとなり、その後台北で様々なパブで歌っていたところを、才能を認められ豐華唱片と契約、張雨生のプロデュースでデビューし、今に至ります。
〔張雨生〕

ボーイ・ソプラノのような独特の声と色白の風貌で、88年にデビューし、瞬く間にスターの座に上り詰め活躍をしていた反面、自作曲や社会性のある歌を創作し、実力派歌手でもありました。96年に、張恵妹をデビューさせ、彼女を一気にトップ歌手に育てた彼女の音楽プロデューサーでもあり、台湾では「音楽の魔術師」と呼ばれ、一目置かれる存在でしたが、97年10月に交通事故に遭い、功績が惜しまれる中、ファンの祈りも届かず、97年11月に他界しました。



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